ナイスビア珍道記

ナイ珍って呼んでね

ふりかえりポエム

まとまらなかったのでポエムはこちらに書きました。 RSGT2022が終わってふりかえった心のメモです。

RSGT2022についてのエントリーはこちら。 miholovesq.hatenablog.com

オンラインでさみしい思いをした人や初参加でさみしい思いをした人へ

ハイブリッドでうまくいっているのは、もちろんいろんな人の努力が大きいと思う。
しかしそれを重々理解し感謝した上で言いたいのは、もっと大きいのは、わたしたち参加者全員がハイブリッドに慣れただけということ。 日々の仕事、日々夜な夜な繰り広げられているオンライン勉強会。 そういう積み重ねで、わたしたちは確実に経験によって学習し成長している。 みんなえらい!

だから、今回オンラインがさみしかったなとか、わかる、わかるよ、わかりますけど、次回はもっとうまくやれるようになっているはず。 「初めての人が入りにくい」は毎年出る話で、じゃあそう感じた初めての人が翌年どうするかっていうと、どうにかなってる。 次回には初参加じゃなくなってるから。だから大丈夫。共感者が多いのもその証拠だと思います。

きっと、次もオンラインでさみしい思いをする人は出るし、初参加でさみしい思いをする人は出るだろう。
たまたまアクティブな人がどこにいるかで、盛り上がる盛り上がらないが出る。
現地にいても同じです。「あの人の周りには人がいる」「自分はぼっちだ」。
そんなもん。
みんな気がついているから大丈夫。自分を「コミュ障」って自称してる人だらけなのも、自分以外がそう自称しているのを信じられないのも、知ってるから大丈夫。

気をつけたいのは、「そういう人を産まないように」みたいな善意が誰かに向けられたたとき、その善意は他人を壊すかもしれないということだ。 わたしたちは、チームには、圧倒的当事者意識が大事ということは知っている。

わたしたち参加者は、RSGTという奇跡のようなプロダクトを生み出すチームです。 メンバーが成長することを信じて、それを前提に置かないことはありえない。 不確実性を確実に、なんておこがましい。 不確実なんです。

どうなるかは不確実。ただ、どうかなることは確実。
次回がどうなるかなんてわからない。
今回みんなが気づいたああすればこうすればは、次回には自然とできるようになってるはず。
それができないならそれまで。 そんなもん。

1年後、経験を積んでまたお会いしましょう。
今回はちょっとさみしい思いもさせてごめんなさいね。でも大丈夫。 きっとわたしたちはうまくなっている。

ということで、スクラムやアジャイルから学んできた、RSGTのこころみたいなものを並べてみる。 もちろん、個人の見解です。
(当たり前だけど、インターネッツは広大なので、こんな野暮ったいことを書かないと怪我する人が出てくるからな。)

やることをふやさない

Scrumを実践しているみなさんならご存知だと思うけど、バックログをたくさん積むのはよいことではありません。
なるべく少ないバックログで最大の価値を出しましょう。
あれが足りなかった、ああすればよかった、にはたくさん気づいてる。だけど、Howを固定するとカーゴカルト化する。 さらに、「これをやりましょう」「あれをやりましょう」を言ってしまうと、言われていないことはやらない、がじわじわと発生する。
ほんとうになされてほしいことがならず、やらなくていいことばかりやってしまう。

無理をしない

ファシリテーター的なものを否定する意味ではまったくなく、知り合いを増やすセッションとかはめちゃくちゃ尊いので価値を認めているわけで、そういった局所の試みを否定するわけではないと念入りに前置きをした上で言います。
もっとマクロな視点で見たとき、人間の営みのうねりが尊いのであって、"場づくり"なんておこがましいのではないかと。
その年の参加者の傾向、世の中の雰囲気、机の配置、天候、たまたま。そういったものを含めて、参加者によってダイナミックに醸成された結果が"場"であり、それ以上でも以下でもない。
とくに善意には注意だ。

OSTの原則、とくに最初の2つが好きだな。

Whoever comes is the right people.
Whatever happens is the only thing that could have.

前回やったから今回も必ずやろうは消耗する。 事前にああしとけばよかったとか絶対しないもん。 アドベントカレンダー書けばよかったなって思うけど書かないじゃん。 そういうこと。

無理しない。 なるようにしかならん。
それが少しでもなんとなく善い方に向かうようにするのが運営。 運営は、戦略と補給を計画的に行いたいと思います。 戦術はその場でエッジが考えましょう。

チームを信じる

何人かが「うっ」て思う出来事がないわけではないんです。 ただ、コミュニティが健全でレジリエンスが高いので、コミュニティは自己修復する。 すなわちちょっとした「うっ」はコミュニティ自体が破壊されるほどのインシデントにはならない。 これはすごい。

奨励とかルールとか、その逆に禁止事項とかを打ち出すことはしたくない。 コミュニティという生き物の自己組織的な修復能力を信用してる。

「いいな」が「うらやましい」になって「ずるい」になると修復能力を奪う。
健全でいましょう。

圧倒的当事者意識

「今回よかったから次もお願いします」はいい話のようでいて、人を消耗させる。
「次は自分がやります」でありたい。
RSGT2021にあった廊下、RSGT2022ではふつーにびばさんとKANEさんがやらなかったの、よかったなー。と思ったらRSGT2022ではないさんがやってたのもよかった。誰がお願いしたわけでも誰かが使命感をもっていたわけでもなくて、やりたい人がやりたいからやった(と思ってるよ)、そのぐらいでほんとうに心地よい。
でも感謝のあまり「またやってください〜」って伝えてしまうよね。わかるけど。
そういう場合でも、少なくとも他人に「やってほしい」とお願いするのには一呼吸おく。
当事者が当事者として動く。
思いやりは非常に尊いのだけど、「こういう人がいるのでああいう人にああしてもらいたい」って思ってしまったときの自分の立ち位置を考える。 「こういう人がいるのでこうします」という人がいたら応援する。
普段スクラムマスターなんてやってたら、周りに目を凝らして、気を遣って、促してばっかりじゃないですか。
当事者はエゴイスティックに100%プレイヤーとして楽しんでいいと思うんです。
やりたいことをやってると人は集まってくる。 RSGTの実行委員は今も昔もずっとそれ。呼びたい人を海外から呼んでるうちに300人集まるようになっちゃったようなもんです。
心優しきみなさんは「楽しんでもらえたかなぁ」と気にするんだけど、「楽しませなきゃ」「満足させなきゃ」は疲弊の入り口なので気をつけたい。
初期のRSGTがまさにこれ。 わたしが疲れた話はここに書いてあるので暇な時に読んでね。

来年もみなさんなら勝手に楽しんでくれるでしょ、って信じてます。
勝手に楽しむみなさんを応援してます。

Regional Scrum Gathering Tokyo 2023は2023年1月11日〜13日の3日間、お茶の水ソラシティとオンラインでのハイブリッド開催です。
一緒にめいっぱい楽しんでくれるボランティアスタッフもまた募集すると思うので、そのとき興味があったらどうぞ応募してください。 ボランティアスタッフが最初に言われることは「怪我なく、事故なく、できるだけ休んでください」です。